東京・幡ヶ谷の駅そば六号通り商店街と、それに続く幡ヶ谷六号坂通り商店街。新宿や渋谷など都心部そばにありながら、下町風情にあふれ多彩な商店や飲食店が建ち並ぶ、活気あふれる通りだ。
この地に創業して約90年。昭和58年より、昭和を代表する作曲家・古賀政男氏から“古賀音”の屋号をいただき店を構えるのは、「ふるや古賀音庵」。“もち(団子)”にこだわり、本物の美味しさを追求し、「変らぬ味をそのままに」の想いでただ実直に和菓子と向き合う―
芸能人にも多くのファンを持つ看板団子
創業当初、先代が店を構えるにあたって幡ヶ谷を選ぶ決め手となったのは、地図上、新宿、渋谷、中野の等距離にあることだった。アクセスのよい場所だけに、幡ヶ谷には多くの文化人や著名人が住むように。「近所にお住まいだった古賀政男先生が、しばしば楽屋へのお持たせとして利用してくださったのをきっかけに、演歌の大御所の方々をはじめ、広く芸能関係の方に利用いただくようになりました」。
特に愛されたのが、看板商品でもある『古賀音だんご』だった。“本物”を追求するあまり、たった1日しかもたない希少な団子。なかでも、つきたてのもっちりとした食感と芳ばしい黒胡麻の香り、そして和三盆糖の優しい甘味のハーモニーが楽しめる『黒胡麻和三盆』は、不動の人気を誇っている。
足を運び、自ら学んで今を形成
先代が倒れたことをきっかけに、20歳という若さで暖簾を託された二代目・古川元久さん。先代から受け継いだ技術もある一方で、「文化とは創造。時代によって変化するもの」という信条のもと、さまざまな経験を踏みながら今の礎を築いたという。
「他店に学ぼうと思っても、普通はそう簡単には教えてはもらえません。青年部に加入するなどして、人間関係を築くことから始めました。例えば、群馬の酒饅頭で有名な店では『酒饅頭には酵母を使うので、隔離しないと他の菓子がカビてしまう』といったことを学ぶなど、足を運び、直に学ばせていただいたのです。京都には何十回行ったかわかりません」。
京都の有名老舗の前に何時間も立って、店舗に並ぶ行列を見ながら「なぜ売れるのか」を考察。やがて、繁栄する店には、どこにも真似できない逸品があること気付いた古川さん。「ならばうちは“もち(団子)”で勝負するぞ、と。正直、素材と味にこだわるあまり日持ちがしないのは商売としては痛い(笑)。ですが、『かわらぬ味をそのまま』にという信念は絶対に曲げません。その信念こそが最大のこだわりです」。
もちもちブームを先駆けた“餅どら”
そうして誕生した商品のひとつが『餅のどら焼き』、通称・餅どらだ。生地に餅粉を織り交ぜて焼き上げた半月型の形と、もっちりとした食感を特徴とする。“もち”で勝負するだけに、徹底的にもっちり感にこだわった商品で、その誕生は平成のもちもちスイーツブームを先駆けるものだったという。
以来餅どらは、プレーンのほか、竹炭を練り込んだ生地に風味豊かな黒胡麻餡を合わせた「黒胡麻」とともに、数十年間変わらぬ人気商品だ。そのほか春は桜、夏はずんだ、秋は栗、冬は柚子と、季節ごとの餡が登場。半月の程よいサイズ感とあって、思わず2個、3個と手がのびる。
いつまでも真心を届けたい
「“ご馳走”には、大切な人のため、馬で駆けずり回って物品を調達するという意味があります。すなわち、もてなしの心ですね」。ふるや古賀音庵から巣立っていった職人の数は、軽く100人を超える。彼らに伝えるのは技術ではなく、ものづくりの心だと語る古川さん。どんな市販のおにぎりよりも、母親が愛情込めて握ったおにぎりが美味しいように、「味は心」と力を込める。
「あるイベントで、うちの和菓子を食べた方が『美味しくて幸せ!』と言ってくださったのを見て、真心が伝わったんだなと涙が出ました。 “美味しいもの”に頂点はありません。私は、自身が作ったものを美味しいと思ったら負けだと思っている。もっと美味しいものを提供したい、その繰り返しです。これからも幸せを感じてもらえるような和菓子を作り続けたいですね」。
ふるや古賀音庵 幡ヶ谷本店
〒151-0072 東京都渋谷区幡ヶ谷3-2-4
03-3378-3003
9:00~18:00
元旦