豆のひと粒ひと粒に想いを込めて 古都と味の伝統を守りつなぐ

豆政本店

御所の南に位置する、京都・夷川(えびすがわ)。界隈には古くより家具職人が集まり、現在も家具や建具、インテリアの店が点在する「家具の街」として知られている。

歴史ある京町家の景観を残すこの街に、約140年の間豆を煎る芳ばしい香りを漂わせてきたのが、明治17年創業の「豆政」だ。伝統ある豆菓子と“京の味”の魅力を、世界へ、そして未来へつなごうと、豆政は受け継いできたスタイルを守りながら、実直に豆と向き合う―

“いいもの”とは何か

豆政の基本は“手づくりでいいものを”。では、“いいもの”とは何だろうか?

「厳選素材で美味しく作るのは当然ですが、いつも変わらぬ美味しさを提供することが難しいところであり、それこそが豆政の仕事です」と語るのは、五代目・角田潤哉さん。豆を扱うのはとても繊細な作業だ。季節や豆の状態はもちろん、その日の気温や湿度によっても変わり、また煎る際には、焼き釜の火の温度も時間帯によって違うという。それらの微妙な違いを職人の目と舌と肌感覚で調整しながら、“いいもの”が完成する。

仕込みには、年間を通して水温が安定している地下水を使用。実はこの一帯は豊富な地下水に恵まれ、古く室町時代には造り酒屋の町だった場所。豆の雑穀商であった初代・政吉さんがこの地を選んだ理由でもあった。

現在、14名の職人がいるなかで豆菓子職人は9名。「世界一おいしくて、世界一喜ばれ、世界一有名なお豆屋さんになる」を目標に掲げ、複雑な京都の気候を読みながら“変わらぬ美味しさ”を求め続ける。

宮中のご彩色を表現した縁起菓子

明治20年、当時は白色しかなかったえんどう豆に青・赤・黄・黒(ニッキの褐色)の四色を加えた「五色砂糖掛豆」を考案。宮中の五彩色を表現したこの商品は縁起物として評判となり、明治41年に京都駅で販売開始したのを機に、“八ッ橋”に並び京名物「夷川五色豆」として広く知られるようになった。

10日かけて丁寧に手づくりされた5彩色の豆は京の風雅をかもし出し、その存在感はひときわだ。

現在店内には、モダンにアレンジされた『クリーム五色豆』をはじめ、約30種のオリジナル豆菓子が並ぶ。昔ながらの量り売りがあるほか、かつては「豆飴」といわれ親しまれてきた3色の半生菓子『すはまだんご』が並ぶなど、ノスタルジックな雰囲気を楽しむ方も多い。

京の味の伝統を守る

戦後まだ間もない昭和24年、伝統の京の味を守り抜こうという気概のもと、食の老舗が結集し「京名物 百味會」を設立。この発起人となったのが3代目・憲治さんだった。「戦争にとられて職人の数も減り、物資も乏しく、作りたくてもモノがない時代。一方で銘品の名を語った粗悪品が出回っているなど、業界全体が瀕死の状態でした。それに危機感を覚えた三代目が、伝統の味を絶やすわけにはいかないと声をあげたのがきっかけです」。京都を愛する同志とともに、“いいものをいいものとして”後世につなぎたい。熱い想いは戦後の京の味復興の一翼を担い、いまも変わらず名店の味を楽しめていることからも、その功績は明々白々だ。

節分の折には、京都の名だたる寺社で豆政の煎り大豆が飛び交う。“いいもの”をつなぐ責任。その矜持は、豆政の豆のひと粒ひと粒の中に、しっかりと受け継がれている。

誰からも、どんなシーンでも愛される味

日本に限らず世界にはさまざまな豆や豆料理があり、豆は多くの人にとって馴染みやすい食材だ。また、菓子といっても、豆菓子はビールやお酒にもよく合い、用途が広い。「豆は地味な存在かもしれませんが、豆菓子には摘まめば止まらなくなり会話が弾むといった、不思議な魅力があります。『こんなに美味しくて楽しめる菓子がある!』ということを、まずは知ってほしいですね」。パッケージには京都の四季や雅な和のデザインが施されている。おみやげとして、旅の思い出にも華をそえることだろう。

「職人のよる手作りの製法を守る豆政は、商品量では勝負できません。ですが、こころを込めて“いいもの”をお届けし続けることで、『京都に、美味しい豆菓子がある』ということが広く、長く伝わっていくことを願っています」。

豆政 本店
〒604-0965 京都府京都市中京区夷川通柳馬場西入る6丁目264
075-211-5211
8:00~18:00
日曜日

https://www.mamemasa.co.jp/

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