江戸の歴史・文化に深く紐づく 関宿、忍び伝承の御手茶菓子

深川屋大堟

東海道五十三次の47番目の宿場町として栄えた、関宿。当時の雰囲気を色濃く残すまちの一角にある「深川屋 陸奥大掾(ふかわや むつだいじょう)」は、徳川三代将軍・家光の時代、寛永19年より続く和菓子の老舗だ。伊賀流忍者の末裔で、もとは“忍び”を隠すための店だったという無二の来歴を持つ深川屋 陸奥大掾。380年以上受け継がれてきた、秘伝の菓子とは―

関の戸の秘密は“忍法”にあり!?

襲名を守り、初代・服部伊予保重が考案した餅菓子「関の戸」を継承するのは、自身も忍者の末裔であり14代目となる服部吉右衛門亜樹さん(以下、亜樹さん)。関の戸は誕生時から製法を変えず、今も6~7代目が1780年に書いたとされる『菓子仕方控』に従い、職人が手づくりしている。

なめらかかつ濃厚なこし餡を、木べらで練り上げた求肥餅で包みこむ。阿波特産の和三盆をまぶし美しく仕上げた餅菓子で、かつては京都の御所や諸大名に御手茶菓子として利用された、由緒ある和菓子だ。賞味期限は常温保存で約2週間。なぜそこまで日持ちするのか?

「それは、忍びの術“保存食の忍法”で炊き上げているからです」と、亜樹さんは笑う。

忍者の隠れ蓑だった和菓子屋

「“うちの餡子は腐らない”と伝承されてきました。実際に分析会社で検証してもらった結果、それを実証するデータがでています」。その秘密は、水分の調節だ。水分を極限まで減らし糖度を高めることで、劣化しにくい餡子になる。それを、やわらかく仕上げるのが、秘伝の配合と職人の技というわけだ。「“兵糧丸”同様、忍びの知恵ですね。諜報活動のため歩いて京都や江戸にお持ちするために、必要な技術だったのです」。

2019年に店内で見つかった古文書から忍びの記述が発見され、深川屋 陸奥大掾は“忍びの隠れ蓑”であったことが判明。本店の真向いには当時要人が休息等に使用した御茶屋御殿があり、その立地からも徳川家と服部とのつながりが伺える。

“もちが笑う”。科学では解明できない職人の妙

13代は昔気質の“見覚えよ”タイプ。直接何かを伝授されることはなかったという。だが突然病に倒れ、まだ2年目の亜樹さんが店を任されることに。「しばらく店を閉めて試行錯誤を繰り返し、やっと製品らしくなったものを百貨店にお出ししました」。すると、お客から「まずくなった、どうしたんだ」とクレームが。「直接お客様に事情を話してお詫びし、これからの成長を見ていてくださいと伝えました。その数10人はくだりません」。その後お客様との約束を果たすためにも努力を重ね、納得いく仕上がりになるまで5年を要した。

そんな体験もあって、今後の後継者のことも考えマニュアル作りに着手した亜樹さん。デジタルや科学の力を駆使して取り組んだ結果、温度やタイミングといった“職人の肌感覚”とされてきた部分が、ある程度明らかになったという。それを経験から得て受け継いできた先人たちに驚嘆すると同時に、解明できない部分もあることもわかった。「私たち職人はよく、もちが笑った、今日のもちは怒っている、といった表現をします。もちに笑ってもらうためにはどうするか、この感覚は長く続けているからこそわかるもの。マニュアル化することで更に和菓子の奥深さを実感しました」。

感性で愉しむ、和菓子ならではの魅力

「13代ってゆうけど、ほんまに13代なんはお客様のほうやに」。先々代が父に語っていた、忘れられない言葉だという。つながってきたのはお客様のおかげという視点を忘れず、店の味を愛してくださる方を裏切らないよう、深川屋 陸奥大掾は伝統の味を守り続ける。

「『関の戸』に限らず、和菓子はその土地の風土に生まれ文化に育まれるものなので、気に入った和菓子があれば、その店に足を運んでみるのも一興です。まちの雰囲気、店の設えや空気感を知れば、味わいはグンと変わってくるでしょう」。

感性で楽しむ。それが和菓子ならではの愉しみ方であり、美学でもある。誕生から380年以上。時を経て受け継がれたひと粒をほおばり、この味を育んだまちの歴史に思いを馳せたい。

深川屋 陸奥大掾
〒519-1112 三重県亀山市関町中町387
0595-96-0008
9:30~18:00(できあがりから売切れまで)
木曜休 ※祝日は営業

https://www.sekinoto.com/

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