歴史から知る、和菓子のなりたち
春なら梅、秋なら菊をかたどった可憐な上生菓子。はたまた、お彼岸に登場するぼたもちやおはぎ、端午の節句に食べるかしわ餅……。売り場に並ぶ和菓子から、時のうつろいを感じる人も多いはず。和菓子に季節の情景を写し取り、年中行事ごとに祈りを込めてきた日本人。その背景を知れば、和菓子の世界がもっと楽しくなります。
意外と知らない、和菓子のルーツ
“縄文クッキー”という食べ物を知っていますか? 実はこれ、縄文人が食べていたとされる、木の実などの粉をかためて焼いたもの。クッキーという言葉から現代の菓子を連想しますが、嗜好品だったのかは謎。とはいえ木の実、そして果物などの自然がもたらす甘みは、古代人にとって特別なものだったに違いありません。
私たちに身近な和菓子のルーツがわかりやすく登場するのが、稲作が本格化した弥生時代以降です。この頃になると、米や穀物を粒のまま、あるいは粉にしてから練って丸めた餅や団子が誕生。餅や団子といえば、いまも変わらず普遍的な人気を誇る菓子界のスター! 私たちが大好きな菓子が古代とつながっていると思うと、なんだかロマンを感じますね。
肉が小豆に⁉ 異国文化が育む和菓子
和菓子において、エポックメイキングが起こったのは奈良時代のこと。遣唐使により唐から「唐菓子」が伝わったことが、新たな歴史の幕開けとなります。
米粉や小麦粉に、植物の樹液などを煮詰めた甘味料を加えて揚げた、唐菓子。当時は宮中や神社の行事用として尊ばれていました。書物のなかには、「かりんとう」にそっくりな一品も登場するなど、今の和菓子の原型といわれています。さらに鎌倉時代に入ると、中国へ渡った禅僧が「饅頭」の製法を日本に伝えます。もともと肉料理だった饅頭は、肉食が禁じられていた僧により、小豆餡を包むスタイルで広がりました。また、中国古来の軽食文化「点心」が和菓子に及ぼした影響も絶大。料理にある「羊の羹(あつもの)」の肉を小豆に置き換えて作ったものが、なんと羊羹の始まりとか!
庶民の身近な楽しみへ変化した和菓子
和菓子とお茶。この名コンビが広まったきっかけも、中国から伝わった喫茶文化でした。安土桃山時代に千利休が茶の湯を確立させると、和菓子は茶席に欠かせない存在に。とはいえ、当時の和菓子は高級品。多くの人が楽しめるようになったのは、戦乱の世が終わった江戸時代とされています。
砂糖が広く流通するようになると、日本各地の城下町や門前町に独自の銘菓が誕生し、多様性が生まれます。健康長寿や子孫繁栄を祈る祭事のための菓子が庶民にまで広まり、意匠などのデザイン性も進化。おいしく美しい和菓子を、日常的に味わえるようになりました。和菓子の歴史からみえるのは、日本の歴史そのもの。和菓子には、日本人のたどった道筋が詰まっているのです。