津の孝子伝説とともに 人と地域の絆をつなぐ“忘れ笠”

平治煎餅本店

空前の“お伊勢参り”ブームが起こった江戸時代、「津(観音)に参らねば片参り」と謳われるほど、伊勢詣でと併せて人気を博した津観音(恵日山観音寺)。そのすぐそばにある「だいたて商店街」に店を構える「平治煎餅本店」は、大正2(1913)年創業、110年以上の歴史をもつ煎餅の老舗。手にした人をほっと和ませる煎餅とともに、同店が未来につなげたい想いとは

地元に語り継がれる孝行息子の物語

平治煎餅本店がある大門地区からほど近く、伊勢湾に面する「阿漕(あこぎ)浦」には、こんな伝説が残る。

― 病身の母とともに貧しい暮らしを送っていた漁師の平治。医者にかかる金もない平治は、母を助けたい一心から禁漁区に入り、ヤガラという滋養豊富な魚を獲り続けていた。ところがある日、浜辺に置き忘れた笠が証拠となり、密漁が露見してしまう。平治は周囲の同情もむなしく、簀巻きにされ阿漕浦沖に沈められてしまった。―

結末は悲しいものの、懸命に生きる人間の姿や親想いの心が胸を打つ、印象深い物語だ。

この物語をモチーフに、平治煎餅本店の創業者である初代・伊藤銀太郎さんが開発したのが『平治煎餅』。笠をかたどった直径4㎝ほどの焼菓子で、材料は、いまも変わらず小麦粉と砂糖、三重県産鶏卵の3つのみ。ほんのりと優しい卵の甘さとサクッとした食感で、子どもからお年寄りまで楽しめる素朴な味わいが魅力となっている。そのほか直径約10㎝の「中笠」、さらに20㎝の「大笠」も。ユニークな形の煎餅を前に子どもが喜ぶ様子が目に浮かぶようだ。

一枚一枚表情が異なる秘密とは

阿漕平治の伝説は、津で生まれ育った人にとって馴染み深い物語。代々その“忘れ笠”の菓子を扱うとあって、4代目であり代表取締役社長の伊藤博康さんは、界隈ではちょっとした“顔”だ。「『あっ、笠の社長!』と声を掛けられることもありますし、近くの小学校では毎年平治の歌が歌い継がれていて、発表会に招いていただいたこともありますよ」。

2台の焼き機で、多いときには1日に4万枚もの平治煎餅を生産。型に流し込んだ生地が焼かれ、焼き上がった煎餅を職人が型からはずせば完成だ。仕上がった煎餅をよく見比べてみると、厚みや笠の模様が微妙に違っている。

「現在製造されているお菓子の形は、均一であるのが当たり前ですよね。当店の煎餅は、大正時代に初代が手彫りで掘った焼き型を元にした複製を使っているので、より手作り感が強いかもしれません」。そのため、一枚一枚表情が異なる、温かみのある仕上がりとなるのだ。

しなやかに伝統の追求を

在、煎餅を焼く職人は5人。焼くのは肌感でしか測れないことも多く、全自動化ができないという。「昔は焼くのもすべて素手でやっていました。『熱いと感じる前に手を放せ』と言われ、鍛えられたものです。今では考えられないですよね(笑)」。

焼き方も変わるように、時代とともにさまざまな変化が求められている。

「煎餅の型は職人の手によるとても精巧なもので、一般の型とはまるで異なります。ですがその型屋さんはすでになく、菓子を入れる缶を製造する業者も激減しました。原材料やアレルギーの問題、また働き方など、とりまく環境はどんどん変わります。だからといって迎合するのではなく、逆に抗うのでもなく、しなやかに伝統の追求を続けていきたいですね」。

店内には、そうして新たに生まれたさまざまなお菓子が並ぶ。煎餅と同じく笠の形をした「平治最中」は、多気町産の米で作った最中種(※もなかの皮の部分)のなかに、自家製つぶあんをたっぷりと詰めた逸品。さらに、煎餅を焼く技術を活かしたワッフルも人気で、つぶあんやカスタードクリームをはじめ、フルーツやコーヒーゼリーなど、和菓子の枠にとらわれないさまざまな商品が地元の方たちを楽しませている。

平治のように、“地元”に孝行を

なんでも、どこででも、インターネットでモノが買える時代。「だからこそ私たちが目指すところは、ただお菓子を作って提供し、店を守ることではないのです。夢は、思い出を共有する素晴らしさを伝え続けること。平治のように、“地元”に孝行したいのです」。

店内や併設する茶房に大切に飾られている、使用形跡が残る創業当時の包装紙。そんな店の歴史を物語る品々を見渡しながら、伊藤さんは続ける。「戦争で工場ごと焼けてしまったとき、先代たちは唯一手元に残った平治煎餅の焼き型だけをたよりに、店の復興に尽力しました。そんなとき地元のお客さま方が、ご自宅に残っていた包装紙や菓子箱といった、当店の思い出の品を届けてくださったのです」

それは、先代や職人たちにとってどんなに励みとなったことだろう。

津観音の節分会では厄除けのお煎餅が登場。菓子の形を借りて、地元の方の福を祈る。「店の歴史ごと地域に支えられていることに、感謝しかありません。今、小学校の皆さんが歌によって地域の絆を未来につなごうと取り組んでいますが、同窓生同士で思い出を共有できるのは、すごく幸せなこと。お菓子作りを通して、ふるさとの魅力づくりの一助となれれば嬉しいですね」。

インタビュー:2025年4月

平治煎餅本店
三重県津市大門20-15
TEL : 059-225-3212
9:00~18:00
定休日 水曜日

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