Vol.15 カラフルでかわいい雛菓子のふしぎ

歳時記

3月3日は「ひなまつり」。雛人形と一緒に飾られる和菓子といえば、菱餅や草餅、雛あられなど、彩り豊かなものがあれこれと思い浮かびます。この日にひなまつりが行われるようになったのは、なんと飛鳥時代の大宝元年(701年)頃のこと。その古い歴史とともに、かわいい雛菓子たちの誕生の秘密を探りましょう。

清めの儀式から始まったひなまつり

ひなまつりは五節句のひとつ「上巳(じょうし/じょうみ)の節句」。3月最初の“巳の日”に水辺で穢れを祓う古代中国の風習が由来といわれています。3世紀頃の中国では既に毎年3月3日に行われていたそうで、日本でも平安時代には華やかな王朝文化を象徴する行事として盛んになりました。当時のお祓いは、人の形に切り抜いた紙で体を拭き、それを川に流すというもの。これが子どもたちに人気を博したわら製の人形遊びと結びつき、雛人形へと変わっていったのだとか。この頃の宮中では、同じく上巳の日に、春の野草の強い香りに魔除けの願いを込めて作った草餅を食べる習慣がありました。そう、この緑色の草餅こそカラフルな雛菓子の元祖。今から1000年以上も前の話です。

意外と新しい? おなじみの三色版菱餅

ひなまつりが現代のような形に進化したのは、人形を作る技術が広まった江戸時代。子どもの成長を祈って雛人形を飾るようになり、やがて3月3日の上巳と5月5日の端午を、それぞれ女児の節句と男児の節句として区別するようになりました。雛人形とともに飾る菱餅は、上巳にゆかりの深いあの草餅が変化したもの。お供え菓子として装飾性を高めた菱形となり、さらに緑の草餅に白い餅を重ねた二色のバージョンが登場。明治時代にはくちなしで染めた赤い餅が加わって、おなじみの三色菱餅が誕生したといわれます。この三色は、桃の花と雪の中の新芽という春の情景を表現したという説も。配色に“見立て”の意味を込めた日本らしい餅菓子なのです。

雛あられは江戸のピクニックが発祥

雛菓子も、地域によってさまざまなものがあります。実は雛あられもその一つ。うるち米を膨らませたいわゆる“ポン菓子”に砂糖をかけた関東版に対し、関西では醤油などで味付けした小粒の米菓なのが一般的。この雛あられは、江戸時代に雛人形を野山に連れ出し、春の景色を見せてあげる「雛の国見せ」というイベントを行う際、外でも食べやすいよう菱餅を割って炒った米菓を持参したのが始まりともいわれます。当時の女の子たちの楽しげな様子が目に浮かびませんか? 雛菓子という言葉は、それ自体に“小さくてかわいい菓子”という意味があるそう。華やかな小ぶりの菓子に子どもの健やかな成長への願いを込めた、心温まる節句のお祭りです。

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